統合失調症の有名人【最新版】

統合失調症の有名人

統合失調症は、全人口の約1%に見られる精神疾患の一種で、その症状は幻覚、幻聴、パラノイアを主とするものです。全人口の内1%という数字は、統計学的に考えれば、一般にも決して少なくない精神疾患だといえるでしょう。この病気にかかるのは、人種、所得、性別、さらには有名人、一般人の隔てに関わらず、多くの人たちが、ある時期を境にいきなり、発症することで知られています。下に記した統合失調症の有名人の一覧には、生涯を通して、この病気と戦った有名人の概説があります。より有名な実例ではゴッホのような例を挙げていますが、この他にも数多くの世界的有名人が統合失調症と闘ってきました。これらの人々のうちの幾人かは、海外では統合失調症を発症した有名人としてよく知られでいますが、中にはその病歴を一般大衆にあまり知られていない有名人も存在するので、この記事を読むことで驚く人も中にはいるかもしれません。

その理由はこういうことだと考えられます。

つまり、今現在では統合失調症への薬物療法をはじめとする各種治療法が古い時代に比べて、飛躍的に進んだことにより、より多くの人が統合失調症を克服したり、寛解させたりすることに成功するようになっています。以前、統合失調症は不治の病の重病だとされていました。しかし、今現在は違います。つまり、「正常に」になることができるわけです。以下で説明する統合失調症の有名人の多くは、公衆の場において「正常」に見えましたが(「異常に見えた人も存在します」)、実際には統合失調症を患っていたといわれています。

以下の統合失調症の有名人のリストを見ることで、自分自身を勇気づけて頂けると幸いです。

統合失調症の有名人【一覧】

多くのこの病気の有名人についてリスト化しています。

 

草間彌生

–現代の天才藝術家として–

 草間彌生氏は水玉模様の絵画や藝術作品で世界的に有名で、大成功を収めた藝術家のひとりです。彼女の作品には億の値がつきます。(有名ブランドとも提携しています。)しかしながら、彼女は統合失調症を患っている有名人としても広く知られています。具体的には、幻覚や幻聴、妄想などがあるようで、彼女はその知覚で得た情報を、そのまま絵画という形で作品化していると本人が語っていました。

あるインタビューでは、統合失調症の状態を抱えながら若いころ、NYCに滞在していましたが、その日々は苦難の連続だったと語りました。彼女は未だに精神病院に入院することもあり、精神病院のアトリエで作品を制作している姿がメディアによって報じられていました。性格的にはかなり純粋な感じの人で、これは統合失調症の人に見られがちな性格特性の一つです。(かなりすっとんきょうに見える、思ったことをそのまま口にするような性格の方です。)

彼ら彼女らの精神は極めて繊細でガラス細工のような細やかな神経を持っている人が少なくありません。その極度に繊細な神経が、芸術活動をいわゆる藝術たらしめているのだといえると思います。

私が海外に居住していたころ、彼女の大規模な個展が開かれていました。(大都市において)

バディ・ボールデン

–ジャズ音楽の開拓者、王様として–

世界的に統合失調症を患った有名人として、バディ・ボールデンは最も有名な人物の一人です。 バディ・ボールデンが生きた時代は、1880年代頃ですから、日本では明治時代の頃で、今の若いアメリカ人では彼を知っている人は少ないかと思いますが、ジャズの分野では未だに極めて有名です。若いころのボールデンは理髪師をしながら、ジャズ活動にいそしみ、統合失調症を発病するまでの期間、いわゆる「ジャズ界の王様」として君臨していました。(※)

そのため、未だに彼の根強いファンたちは彼のことを「キング・ボールデン」と呼びます。彼の統合失調症はアルコール依存から発病したとされており、急性アルコール統合失調症といわれています。1908年に統合失調症を発病し、それ以来、亡くなるまでの期間をずっと精神病院の閉鎖病棟で過ごしたといわれ、閉鎖病棟での生活は苦難に満ちていたそうです。まさに薄幸の天才だといえそうです。

ちなみに、彼の生前についての談話は、かなり脚色されたものが多く、事実と異なるものが少なくないとされています。※たとえば、先に挙げた、彼が理髪師であったということ、または「クリケット」と呼ばれるタブロイド紙を発刊したという話がありましたが、その多くは偽情報だとする識者が少なくありません。彼にとっての真実は、「ニューオーリンズでジャズの王様であったということ」、「実際に統合失調症を発症した」というこの2点のみで、他の情報はかなり脚色されたものが多いのではないかといわれています。(古い時代の人なので仕方がないかとは思います。)

同じジャズ界の重鎮、ビリー・ホリディは薬物依存や精神疾患で苦しみましたが、才能ある音楽家に、この統合失調症のような心の病気になることが少なくないといわれています。ストレスやプレッシャーがそうさせるのか、もともとの遺伝的なものなのであるかはよくわかってはいません。

名言:

シド・バレット

–ロックバンド「ピンクフロイド」の創設者として–

シド・バレットは英国のアーティストで、シングソングライター、アーティスト、ギタリストとして有名で、彼は今日も世界的に有名で熱烈なファンの獲得に未だに成功しているロックバンド「ピンクフロイド」の創設者でした。 バレットは、初期の頃からバンドのボーカリストで、他にもギターを手掛けたり、作詞活動にも勤しんでいました。そして、ピンクフロイドというバンド名の名付け親としても知られています。(ちなみに私はピンクフロイドとはバンド名ではなく、海外有名ミュージシャンの個人名だと思っていました。大学時代の友人がピンクフロイドを良く聞いていたのを覚えています。)

話がそれましたが、バレットは後に、デヴィッド・ジョン・ギルモアが新しいリーダーとしてピンクフロイドを引き継いだ後、そのロックバンドから除名されることになりました。

その理由は彼が薬物に耽溺し、統合失調症を発症したことによると言われています。(バレットの統合失調症は、精神刺激性精神病の可能性もあります。これは、覚せい剤やコカインのような中枢神経刺激剤の慢性使用によって発症する統合失調症の一種です。)バレットは、実際にこの事実を公で認めたことはありませんが、「彼は統合失調症の有名人の典型例である」という数多くの精神科医、病跡学の専門家、心理学者たちからの報告が今現在にいたるまでにあったわけです。

発症以来の彼は、長らく社会的に孤立したまま、慢性的な疲労や不安、恐怖に苦しめられたそうです。それからの彼は、人生のありとあらゆる側面で、社会的活動を切り捨て、自宅に引きこもっていたといいます。時が経つにつれ、彼は音楽活動自体も完全に見送ることになり、自らが名付け親であり生みの親であるロックバンド「ピンクフロイド」についても何も語らなくなったと言います。つまり、彼にとって、かなりキツイ、皮肉のような人生を送ることになったわけです。

バンド活動で大金を稼いでいた彼でしたが、1970年代後半、とうとう資金面の援助が必要になり、彼は生まれ故郷のケンブリッジに戻り、母親と一緒に静かに暮らしたといいます。そこでの生活は、比較的、安息に満ちたものだったそうです。また、彼は1982年に再度ロンドンに戻ることもありましたが、その喧騒(けんそう)に、統合失調症を発症した繊細な神経は耐えられず、わずか数週間で実家へ帰ったそうです。彼は統合失調症の他にも深刻な糖尿病を技らっており、ケンブリッジの母親の自宅で、2006年7月に60歳の齢(よわい)で逝去しました。

このように、統合失調症の人では運動不足により、他の慢性病を患うことも少なくありません。彼の最後の死因はガンでした。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

–伝説的な天才画家として–

統合失調症にかかった有名人として、特に世界的に有名な人物にヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)を捨てることはできません。ヴィンセント・ウィレム・ヴァン・ゴッホはオランダ生まれの画家で、20世紀の美術藝術に大きな影響を与えました。今の小中学生でもゴッホは有名人ですが、統合失調症に苦しんでいた事実までを知る子供はまず存在しないでしょう。彼の作品の特徴は、肖像画、田舎の風景などで、「小麦畑」、「ヒマワリ」といった作品が有名です。彼のスタイルは独特のラフタッチで放射線を彷彿とさせる描き方をしています。

彼は子供のときから絵画をはじめたとよく報告されていますが、実際には彼は20代後半まで絵はほとんど描かなかったそうです。※彼は人生の最後の2年間に、最も有名な作品の数々を完成させました。(※この間に、2100点以上もの作品を制作したそうですが、この話が実話なのかどうかは不明です。基本的に考えてみて、2年間の間で、2100点もの作品を手掛けるには毎日約6~7作品を制作しなければならず、それはいくら大天才、ゴッホをしても現実的なものだとは思いません。したがって、後世の人間の脚色もこの話にもかなり含まれているのではないかといわれています。

ちなみに、ゴッホは上の制作ペースにのっとって話せば、油彩画は約800点以上、水彩画は約1,300点以上をその期間(約2年の間)に手掛けたことになります。作品としては絵画、スケッチなどが特に有名です。)この天才的な画家は、DSMやICD(精神疾患の診断の手引き書)が作成される以前の人間であるため、統合失調症であったかどうかは実際問題、誰にもわからないことですが、今日、多くの精神科医、心理学者は、「ゴッホは間違いなく統合失調症であった」と、推定しており、今現在、国際的に最も世界に知られた統合失調症の有名人です。

私も多くの一般書籍で、精神病の有名人としてゴッホが紹介されていたのを目にしています。

彼は常に不安定な精神状態に苦しめられていました。ゴッホは、彼の人生の最後の2年間に精神病のエピソードを繰り返し経験し、自分の耳を噛みちぎったこともありました。その最期は、リボルバーで胸を撃ち拳銃自殺するという悲劇なものでありました。彼の作品が評価されるようになったのは、彼の死後からだといわれています。生前は一枚も絵画作品が売れず、全く画壇からも評価されていませんでした。そういうことで、「藝術は爆発だ」の名言で知られる岡本太郎氏は「藝術とは人から好かれないものであり、ゴッホはその好例だ」と彼を高く評価しています。

ブライアン・ウィルソン

–ザ・ビーチ・ボーイズの産みの親として–

ブライアン・ウィルソンは1942年に生まれ、アメリカのミュージシャン、歌手、ソングシングライター、プロデューサーとして、そして何よりもビーチボーイズの設立者のひとりとして知られる有名人です。彼は1960年代にバンドを結成し、記録的なレコード販売記録を長年維持し続けました。ザ・ビーチボーイズと聞くと、ロックバンドを私は無意識に連想しますが、これは私が米国に住んでいるからだと思います。それほど、今でもこのロックバンドは米国では伝説的存在です。

彼の初期の音楽はそれを特徴付ける魅力的な美声、美しいファルセットの技術から構成され、歴史に残るボーカリスト伝説の一員になりました。彼は魔術的に美しい歌声で知られ、レコーディング時の最も完成された歌声を、ライブで実際に再現することができたといわれています。

ブライアンは後年、ローリング・ストーンズが選ぶ最も偉大なアーティスト100人に選定されました。また、ブライアン・ウィルソンは1966年に後に彼の代表作となるアルバム「ペット・サウンドズ」をリリースし、彼自身とビーチ・ボーイズをロック・レジェンドの地位に昇格させました。しかしながら、このアルバムは、ブライアンの母国である米国では、はじめはあまりヒットせず、あまり芳しい評価を受けませんでした。反対に、英国でこの曲は絶大なヒットを記録しました。

彼は現代ポピュラー音楽業界において、最も革新的で影響力を持ち、その高いクリエイティビティで、多くの批評家たちによって高い評価を勝ち取っています。しかしながら、彼の子供~青年時代は人生に翻弄されるような過酷なものでした。その期間中、何年もの間、「薬物とアルコール依存症、統合失調症に襲われていた」のだといいます。

たとえば、彼の父親が亡くなった後、彼自身のアルコール依存症、統合失調症は劇的に悪化し、約2年間の間、引きこもり同然の生活をしていました。睡眠薬依存、アルコール依存症、薬物(ヘロインを含む)中毒に陥り、摂食障害をはじめとする自己破壊的な行動を示し、荒廃した生活を強いられました。これは境界性人格障害(Borderline Personality Disorder)という人格障害的なものだったともいわれています。

実際、境界性人格障害は、「統合失調症と神経症の境界域に存在する」と定義され、統合失調症にも浸透性のある精神疾患であるとされています。あるとき彼は自分の車を崖から突き落そうとするという異常行動をとったことがあります。そして、またあるときは自分の家の裏庭に墓を掘り、「自分を底に埋めてほしい」と主張することもあったそうです。これは、幻聴によるものだといわれており、この時の彼は「完全に統合失調症の状態にあった」といわれています。

このときの彼は、「コカインの大量摂取による幻聴に悩まされており、薬物乱用から統合失調症の症状は著しく悪化していた」といわれています。実際に彼は、過日、幻聴に悩まされていることを認めました。このときはじめて、彼は統合失調症と診断されたというわけです。ウィルソンは90年代に彼のキャリアを復活させ、いくつかのソロアルバムをリリースしました。(なお、この有名人の統合失調症が、先天的なものなのか医原的なものなのかはわかっていません。)

彼は1988年にロック音楽で殿堂入りを果たし、2007年にケネディーセンターで賞を受賞し、今現在は元気に暮らしており、近年では、たまにライブを開くこともあるようです。

ジーン・ティアニー

–天性の美貌に恵まれたアメリカ女優として–

ジーン・エリザ・ティアニーは、アメリカのハリウッド映画とブロードウェイ女優として誉高い有名人でした。彼女はNYC、ブルックリンにアイルランド系移民として生を受け、学校教育はスイスですべて受けました。(エリート養成の寄宿式で厳しい学校だったと言われています。)彼女はその偉大な美貌を高く評価され、かなりの短期間で主役として抜擢されたことで良く知られています。ティアニーは、映画「ロウラ」(1944年)のタイトルキャラクターの描写で最もよく知られており、その映画の中で演じたエレン・ベーレン・ハーランドの役で最優秀女優賞にノミネートされました。また、彼女はその美しい容貌から、さまざまな社交界の重鎮、権力者、ハリウッド俳優たちと浮名を流したことで知られています。

しかしながら、30代に差し掛かった時、彼女のすべてがいっぺんしました。それは、「躁うつ病」そして「統合失調症」の発症で、「その症状によって、彼女は何年もの長きにわたって、苦しんでいた」といいます。1950年代、彼女の統合失調症の症状はさらに悪化し、集中力の問題がより顕在化しだし、それは映画の出演にも影響を与えたため、この頃から彼女の出演作品は大幅に減っていきます。彼女の統合失調症はそれほどまで悪化したため、そのため、ティアニーは精神科医に相談し、精神病院への入院を勧められ、閉鎖病棟に入院することになります。

彼女は、深刻なうつ状態を緩和するためにかなりの回数、当時流行していた精神病の治療法、「電気ショック療法」を受け、その後、ティアニーは施設を逃げたしてしまいました。しかしながら、途中で捕えられて戻りましたが、後年、彼女は電気ショック療法を受けることによって、「「記憶力」や「集中力」がさらに悪化した」と主張し、後年、電気ショック療法反対団体の有名人代表として表舞台に再度立ちました。

実際に、「その頃の精神医療ではロボトミー手術や電気ショック療法といった非人道的といわれる治療が存在しており、それにより、廃人のようになってしまった人も少なくなかった」と言われています。

ティアニーは1990初頭にテキサス州ヒューストンで肺気腫が原因で亡くなりました。彼女の葬式では、この偉大な女優の死を嘆く人が多数参列したとされています。

(まとめ)

数多くの有名人が統合失調症で苦しんできたということが知られています。彼らの中には不幸な人生を歩んだ方も少なくありませんが、それを克服したり、あるいはこの心の病気の代償を草間彌生氏のように藝術領域の才能として昇華する人も少なくありません。

今現在この障害で苦しんでいる人はこのような事実に着目することで、自分自身を叱咤激励し闘病生活への希望の灯とすることが大切だと思います。

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